こうちゃんのブログ - 東北関東大震災・・・に思う。。。
11日午後2時過ぎ・・・悪夢は起こった。。。戦後、最大級の地震発生に日本中が困惑。。。世界中にもこの情報は伝わった。。
あれから、早2週間が経過しようとしている。
僕には、石巻市蛇田という地区に住む12年来の親友がいる。彼とは、12年前、僕が信用金庫職員だったころ、全国信用金庫協会が主催する「管理者研修」(千葉県鎌ヶ谷市にて開催)に参加した時の同室者で、2週間同じ釜の飯を食った仲間である。
同い年という事もあり、すぐに打ち解け、仲良くなった。以来・・・12年間親友とよべるほどの・・・・お付き合いをしている。。。
その彼と、地震直後から音信不通に。。。心配になって・・・ずっと携帯電話や自宅に電話をかけ続けたが・・・全くつながらない。。。なすすべもない。。。
石巻港に近い所に住んでいると聞いていたため、よぎったのはあの「津波」。
無事でいて欲しい・・・と祈るばかり。。。
避難者情報をインターネットで見たが、避難者の数も多く、また、小さい字で記されているため、読み取れず。。。
そんな最中、20日の夜9時半頃、いつものように携帯に電話したところ、「プルプルプルッ」と相手Tを呼ぶべるの音が・・・。
何度も鳴らしたが出ず…。音声が留守電に変わったため、とりあえず、伝言を入力した。
もちろん僕は「興奮」した。。。。。。震えが治まらなかった。
しかし、1時間経っても2時間経っても連絡が来ず。。。
「もう今日は寝よう・・・。」と諦めかけていると・・・そこに・・僕の携帯が鳴り響いた。。。
恐る恐る・・・携帯を開くと彼の名が・・・。
早速、出てみると、いつもの東北弁の彼の声が・・・・・。思わず・・・うれしくて・・・涙が。。。
「元気だよ!」「連絡遅れてごめん!」まさしく、彼のいつもの声だ!
お母さんと2人暮らしの彼。。。お母さんも無事とのことだった。
彼は、石巻信用金庫に勤務していて、当日は渉外活動中だったとのこと。地震直後にはいったん金庫に帰り、お金を金庫室に格納。津波が押し寄せてくるとのことで緊急避難。(この時は大津波が押し寄せてくることは全く想像していなかったとのこと。。)
地震発生から約30分後に、マイカーで避難。(自宅へ戻ろうと)
しばらく運転していると・・・すぐ後ろから津波が押し寄せてくるのが分かったとのこと。あわてて山方面にハンドルを切り、アクセルを踏み込んだ。。。
その瞬間、津波がマイカーにかかってきたが・・・・・なんとか・・・逃げられたそうだ。。。「奇跡だ!」と言っていた。。。
助かって良かった。。。一夜はこんもりとした山の上で過ごしたしたそうだ。。
自宅は何とか無事だったらしく、避難所にも行かず、お母さんと自宅待機をしているとのこと。。。ただ、食料は何とか食いつないでいるが、厳しい状況であるとのこと。。。
辺りは、押しつぶされた家、ガレキ、泥だらけ・・・・・「まるで、戦場のような後景だ!」と言っていた。
地震以来、毎日、泥、ガレキ運びでくたくただそうだ。。。(しかし、そんなことは言っていられない・・・・・と言っていた。)
生きていて良かった。。。何か僕にできる事はないだろうか・・・。
一人っ子の彼は、身内も少ないらしい。。。「いつでも、僕のところ(山梨)に遠慮なく来てくれ!」と励ましたが・・・。
何万人もの避難者、犠牲者が出ている中、何かできることはないだろうか・・・。
今のところ、計画停電による節電協力くらいしか出来ない自分が悔しい。。。
今、僕にできること。。。。。それは、皆に元気を与えること!・・・。家庭の中でも、お店に来店していただいたお客様にも、明るく笑顔で普段と変わりなく精一杯毎日を過ごしています。
生きていること、家族がいること、働けること、どれもこれもが、ありがたい。。
『今回の地震で震災に遭われた被災者の方々・・・心よりお見舞い申し上げます。とともに、一日でも早く、元気になられる事を・・・望みます。』
頑張れ!頑張れ!頑張れ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!
あれから、早2週間が経過しようとしている。
僕には、石巻市蛇田という地区に住む12年来の親友がいる。彼とは、12年前、僕が信用金庫職員だったころ、全国信用金庫協会が主催する「管理者研修」(千葉県鎌ヶ谷市にて開催)に参加した時の同室者で、2週間同じ釜の飯を食った仲間である。
同い年という事もあり、すぐに打ち解け、仲良くなった。以来・・・12年間親友とよべるほどの・・・・お付き合いをしている。。。
その彼と、地震直後から音信不通に。。。心配になって・・・ずっと携帯電話や自宅に電話をかけ続けたが・・・全くつながらない。。。なすすべもない。。。
石巻港に近い所に住んでいると聞いていたため、よぎったのはあの「津波」。
無事でいて欲しい・・・と祈るばかり。。。
避難者情報をインターネットで見たが、避難者の数も多く、また、小さい字で記されているため、読み取れず。。。
そんな最中、20日の夜9時半頃、いつものように携帯に電話したところ、「プルプルプルッ」と相手Tを呼ぶべるの音が・・・。
何度も鳴らしたが出ず…。音声が留守電に変わったため、とりあえず、伝言を入力した。
もちろん僕は「興奮」した。。。。。。震えが治まらなかった。
しかし、1時間経っても2時間経っても連絡が来ず。。。
「もう今日は寝よう・・・。」と諦めかけていると・・・そこに・・僕の携帯が鳴り響いた。。。
恐る恐る・・・携帯を開くと彼の名が・・・。
早速、出てみると、いつもの東北弁の彼の声が・・・・・。思わず・・・うれしくて・・・涙が。。。
「元気だよ!」「連絡遅れてごめん!」まさしく、彼のいつもの声だ!
お母さんと2人暮らしの彼。。。お母さんも無事とのことだった。
彼は、石巻信用金庫に勤務していて、当日は渉外活動中だったとのこと。地震直後にはいったん金庫に帰り、お金を金庫室に格納。津波が押し寄せてくるとのことで緊急避難。(この時は大津波が押し寄せてくることは全く想像していなかったとのこと。。)
地震発生から約30分後に、マイカーで避難。(自宅へ戻ろうと)
しばらく運転していると・・・すぐ後ろから津波が押し寄せてくるのが分かったとのこと。あわてて山方面にハンドルを切り、アクセルを踏み込んだ。。。
その瞬間、津波がマイカーにかかってきたが・・・・・なんとか・・・逃げられたそうだ。。。「奇跡だ!」と言っていた。。。
助かって良かった。。。一夜はこんもりとした山の上で過ごしたしたそうだ。。
自宅は何とか無事だったらしく、避難所にも行かず、お母さんと自宅待機をしているとのこと。。。ただ、食料は何とか食いつないでいるが、厳しい状況であるとのこと。。。
辺りは、押しつぶされた家、ガレキ、泥だらけ・・・・・「まるで、戦場のような後景だ!」と言っていた。
地震以来、毎日、泥、ガレキ運びでくたくただそうだ。。。(しかし、そんなことは言っていられない・・・・・と言っていた。)
生きていて良かった。。。何か僕にできる事はないだろうか・・・。
一人っ子の彼は、身内も少ないらしい。。。「いつでも、僕のところ(山梨)に遠慮なく来てくれ!」と励ましたが・・・。
何万人もの避難者、犠牲者が出ている中、何かできることはないだろうか・・・。
今のところ、計画停電による節電協力くらいしか出来ない自分が悔しい。。。
今、僕にできること。。。。。それは、皆に元気を与えること!・・・。家庭の中でも、お店に来店していただいたお客様にも、明るく笑顔で普段と変わりなく精一杯毎日を過ごしています。
生きていること、家族がいること、働けること、どれもこれもが、ありがたい。。
『今回の地震で震災に遭われた被災者の方々・・・心よりお見舞い申し上げます。とともに、一日でも早く、元気になられる事を・・・望みます。』
頑張れ!頑張れ!頑張れ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!